
文庫版が出てから買うまでに、何故かすごく間が空いてしまった。
恩田陸の書くものが好きで、文庫になったらできるだけ買うようにしているのだけど、どれもこれも全部買うというわけではないです。
たとえば「月の裏側」とか「常野シリーズ」とか本屋大賞に選ばれた「夜のピクニック」とかは、私はあまりピンとこなかった。面白くないわけじゃないんだけど、何度も読み返したいという感じではなかったのです。
まあ、これだけ多彩なジャンルを網羅している作家さんなので、やっぱり作品によって好き嫌いは出てくるんだろうなと思う。
で、この「まひるの月を追いかけて」は、「買う」と「買わない」の間のゾーンを長いことフラフラさまよっていた作品でした。何故かは不明。
図書館で借りた本を返しちゃったらもう読む本がないぞということで、ようやくこないだ購入に至りました。でも結局読む時間がそんなに取れず、図書館の本も貸出延長したのでまだ家にあるという…。
舞台は古都・奈良。
行方不明になった異母兄を探しに、兄の恋人と二人で奈良へ旅する「私」。
旅先で二転三転する事実。これは兄とその恋人との物語で、自分は脇役だと思っていたのに、実は知らぬ間にスポットライトが当たっていたことを知らされる。
一体この旅はどこに行き着くというのか。いや、そもそも終着点などあるのか。
とりあえず、読んでるうちに猛烈に奈良に行きたくなります。
奈良行きたい。大仏に圧倒されたい。近鉄に乗ればすぐ行けるのにいまだに見たことないってどういうこと。
そしてそんな非日常の地で語られる出来事は、今までうやむやにしてきた真実をまるごと暴きだそうとする。
どんでん返しの繰り返し、最高のヒキでいつも次章へ。え? え!? どういうこと!? となりながらページをめくる。
「旅は、お話なのだ。」と、この物語の語り手である静は言う。
旅の前日に憂鬱になるのは、旅が一つの虚構だから。そこで自分は、与えられた主役という役割をこなさなければならないから。
普段日常では誰か主役を演じる人の傍観者でも、旅先ではそうしてはいられない。傍観者でいることを許されない。
なら、出不精の私はひょっとして主役になることを恐れているんだろうか。
生きているかぎり、私の物語の主役は私でしかないんだけど、ふとそんなことを考えたりしました。
たぶん、「非日常」があまり好きじゃないんだろうな。
ルーティンワークがそんなに苦にならない。
だから、「日常」にいながら他人の「非日常」を楽しめる本や映画は、私にとって最高の娯楽だ。
そんな人生でもいいじゃないか。いい…ですよね?(なぜか質問調)
だから、この旅の物語もまた、最高の娯楽でありました。
「あたしたちは何かを失いながら生き長らえるのに、心は重くなる一方だ。」
という静のモノローグが印象的です。